福島の子どもたちに多発している甲状腺癌については、二つの異なる立場がある。
ワシは川上先生のこの主張が正しいと思うが、
以下のような意見にもまた、多くの賛同者がいる。
その一人が、このかた、元検事なので「モトケン」と名乗っている。
「立証は不可能」と断定している。
しかし、統計的には立証可能だろう。
福島から遠く離れていて、自然放射能しかない地域で、
約30万人の子どもたちに超音波エコーによる甲状腺検査を行い、
その結果と比較すれば、たちどころに結論が得られるはずだ。
もし菊池教授の説が正しければ、
167件の手術を要する悪性ないし悪性疑いの癌が見つかるはずだから、
これと実際の観察数との差が有意かどうかを計算すればよい。
かりに有意だとなれば、福島の甲状腺癌には、
いわゆる過剰診断では説明できない甲状腺癌が存在することになる。
モトケン氏のいわんとするところは、
たとえそうだとしても、一人ひとりの癌と診断された子どもについて、
その原因が過剰診断か被曝による健康被害かを識別できないだろう、
ということである。
原因が不定であれば、法的な責任を問うことはできない、
というわけだ。
他の地域で大規模な対照調査を行なうのは現実的ではないし、
仮に無理やり実施して有意差が認められたとしても、
被曝との因果関係を個別の事例にまで適用できない。
こういう二段構えの防衛線を張り巡らせたうえでの「立証は不可能」なのである。
ただまあ、弁護士ではなく科学者なら、対照調査せずとも、
明らかな異常事態と認識できなければ、センスが疑われるレベルだろうと思う。
しかし、個人レベルでの科学的な因果関係の実証は困難だ。
甲状腺癌の手術が適切であったか、それとも放置しておいても問題がなかったか、
これは原理的に分からない。
癌が見つかった子どものクローンを作り、一人は手術、もう一人は放置しておいて、
死亡率を比較できれば話は別だが、それはSFの世界である。
で、ここから先は倫理の問題。
つまり、明らかに異常事態であるにもかかわらず、
個人レベルでの科学的因果関係の立証が不可能であることをもって、
加害者を免責してもよいのか。
菊池教授もモトケン弁護士も、その倫理性が問われることになる。
もちろん、そんなもん知ったことかと居直ることはできる。
ただ、そういう有名人は、かなり病的な「信者」を生み出すことになる。
たとえば、先日の報道(参照)に関して、
万一 #反原発 派に知られれば、彼らは必ず女性の家に発ガン物質や放射性物質を撒きます。100ミリシーベルトの子ガンで死ぬことが彼らのドグマの完成なのですから # 福島
まあ、教祖が凡庸だと、信者たちが暴走してしまう図式には既視感がある。w